助産所ほやほやさん

広子

2012年09月02日 23:00

先日、助産所ほやほやさんにお話をうかがいました。

ちょうど入院していた方が退院していったところ、と
お疲れのところ、保谷先生が丁寧にお話を
聞かせて下さったり、話を聞いてくださったのでした。

先生、ありがとうございます!

先生がおっしゃる助産所と病院の
一番の違いは「ドクターがいないこと」

そのデメリットについて
きちんとお話し下さいました。

何の問題もなく検診から出産までスムーズに済めば
よいのですが、やはり「いざ」という時の対応。

医療行為ができない助産所では
病院に搬送しなくてはいけません。

今はいろいろ法律も変わったり
機械の導入によって

一昔前まで助産所で出産していたような方が
病院に行かなくてはいけないこともあるようです・・・

プチ病院化したくはないのだけれど、と苦笑いされていた先生。

私は出産についての知識がほとんどなく
ようやくちょっと本を読むようになったくらいで、

自然な形のお産がしたい、と思いつつ
では、何が自然なのか?というところで
まだ自分でもどうしたいのか、よくわからないでいました。

できれば、帝王切開や会陰切開せずに産みたい

母乳で育てたい

なので、もしいざと言う時は仕方ないのだけど、
基本方針がそういうところがいいな、というくらい。

でも、今回、基本方針はそうだけど、
いざと言う時に赤ちゃんや母体を守るために
そうせざるを得ない場合がある、というのが
よくわかったし、自分がそうなったときに
受け入れる覚悟を決めました。

私は身長が小さいので、物理的に
頭の大きな赤ちゃんだと骨盤を通れない場合があるそうです。

それは検診の途中でわかるそうなんだけど、
助産所さんでは産めない場合、というのが
やはりいくつかあって

そういう時は途中から病院に変わらなくてはいけません。

でもそういう場合があるかもしれないけど、
無い場合もあるんだよね。

もしかしたら・・の可能性も抱えたまま
自分のカラダや赤ちゃんの力を信じて通うか、
最初から病院の方がいいのか・・

まだ迷うところです。

初めてのことで、どうなるかもわからないしなー

ひとつ安心したのは、
保谷先生は素敵な人だな、とわかったこと。

私はデメリットをきちんと伝えてくれる人って信頼できると思うんです。

それから、お話しの中で、

どんな状況だろうと
この赤ちゃんが私たちのところに来てくれるには
意味がある、ということ

そもそもそれだけの覚悟を持って妊娠したか?
そこをよく考えてほしい、というような

(ちょっとニュアンスは違ったかもしれないけれど、
私の解釈です)

お話しをしてくださって
ああ、この先生はいのちの重さを
よくご存じなんじゃないかな、と思ったのでした。

その話が出たのは、
「ダウン症の事前検診」の話からだったのですが、

ダウン症に限らず、奇形を持って産まれてくるお子さんが
多くなっているとのこと

アトピー・アレルギーなどもそうだと思うのですが、

「その人たちだから受け止められる課題を
赤ちゃんが与えてくれる」

と先生おっしゃっていました。

逆に言えば、その課題をクリアした時
得られるものがあるのだろうな、と思いました。

何か起こったときに
「なんで私が・・」と嘆くより、

「なんでこの問題が起こったか?」
「その先に何があるか?」に
フォーカスするといいのかな。

この法則になんとなく気づきながらも
「つわりキツイ~」と嘆いてしまっていた私は
まだまだ修行不足ですが、

つわりを通して自分のエゴや理想像を壊されたことによって
何が起こってもそれは自分に必要なことを
気付かせてもらえるチャンスだと思いました。

保谷先生とお話しする中で、

まだまだ課題はこれからもあるよ。
そしてそこに逃げずに立ち向かう覚悟はできてる?

と、問いかけられた気がしました。

結婚や出産は、私にとって
他のいのちと深く関わる事であり、
そして責任を取る、という意味でした。

その重さを感じていたからこそ、
私は30歳を過ぎても結婚や出産に
まだ自分には早い、とか自分には無理だ、と
思っていたのかな。

私、去年の8月ごろ、一生結婚できないかも、って思ってたから。

でも、なんだか1年でトントンと結婚し、妊娠。

そうなったからには、そうできるんでしょう!
覚悟が決まったから、赤ちゃんがやってきてくれたんだろうしね。

よっちゃんと自分と赤ちゃんを信じて、後悔がないよう、
またこだわりすぎないように
流れにしなやかに乗っていきたいと思います。

長文になりました。

お付き合いいただき、ありがとうございました!

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